東京地方裁判所 昭和27年(ヨ)4062号 決定 1953年5月18日
申請人 益子菊江
被申請人 日本放送協会
主文
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
理由
一 申請の趣旨
被申請人が昭和二十七年九月一日申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。
申請費用は被申請人の負担とする。
との裁判を求める。
二 申請の理由
被申請人日本放送協会(以下協会と略称する)は、放送事業を営む社団法人であり、申請人は昭和二十四年四月二十八日協会に事務嘱託として採用され、以来企画部(後に社会部)婦人課に勤務して「婦人の時間」および「勤労婦人の時間」の放送内容の企画、立案実施を担当していたのであるが、協会は昭和二十七年九月一日申請人に対して解雇の意思表示をした。けれども、右の解雇の意思表示は次に記す理由によつて無効である。
(一) 申請人が協会に採用された時の雇傭契約によれば雇傭期間は一年間であつて、期間満了の上は特別の事情のない限り契約は前回と同一の条件で一年毎に当然更新されることになつていた。従つて本件の雇傭契約はその後一年毎に更新せられて、最後は昭和二十七年四月二十八日の経過と共に更新せられ、少くとも昭和二十八年四月二十七日までは継続すべきであつた。従つて契約期間満了前解雇するには、民法第六百二十八条により已むを得ない事由がなければならない。然るに已むを得ない事由なくして、その期間の満了前である昭和二十七年九月一日申請人を解雇したことは右の規定に違反し無効である。
(二) 申請人の身分は事務嘱託ではあるが、協会の事務嘱託には通常の職員と同一の勤務に服する嘱託と、同一の勤務に服しない嘱託(臨時雇入者)との二種類がある。申請人は右のうち職員と同一の勤務に服する事務嘱託であるから、その服務条件についてはなるべく職員と同一の取扱を受けるべきである。そして協会の就業規則第六十五条に「職員の外労働契約により協会の業務に従事する者についてはその名称のいかんを問わず、特に規定した就業条件の外、必要によりこの規則を準用する」との規定があり、事務嘱託の服務関係特に解雇については、他に特段の規定はないから右の就業規則が準用されることになる。ところが就業規則第四十五条によれば、協会が職員を解雇することができるのは、
一 退職を願い出たとき
二 勤務成績が著しく悪く改悛の見込がないとき
三 懲戒処分の免職に該当する行為があつたとき
四 不具癈疾により職務に堪えられなくなつたとき
五 第四十条第一項第三号による休職期間が満了したとき
六 第四十条第一項第四号による休職期間が満了したとき
に限られている。けれども、申請人の本件解雇については、右の条項に該当する何らの事由もないから、右の解雇の意思表示は申請人に当然準用のある就業規則に違反するものであつて無効である。
(三) 申請人は昭和二十七年七月二十日、協会の行つている第二放送中の「勤労婦人の時間」(現在は婦人の時間)の企画として、「明るい寮生活」と題して、纎維産業に働く女子労働者の寮生活を中心課題とした放送企画をたて、右の企画は同日放送された。その中には八王子市の機織工場に働く女子工員の生活の実態が取扱われていたことについて、同月二十五日読売新聞の夕刊紙上で、「勤労婦人の時間に赤い電波」と題して、右の放送内容があたかも「日本共産党織姫工作隊」の宣伝であるかのように報道し、これと前後して八王子織物協同組合、八王子労働基準監督署から協会に対して抗議を申入れ、暗に右放送の責任者の解雇を要求するようなことばを使つた事実があり、本件解雇が右の事件の直後になされたことなどの点を考えると、解雇の真の理由は右の八王子事件にあつたことが明かである。しかし右の放送企画は慎重な考慮の下に正当な業務として行われたものであるのに、協会が第三者の抗議によつてみだりに申請人を解雇したことは何らの合理性がなく、解雇権の濫用である。
協会が申請人に対してなした解雇の意思表示は右の三つの理由によつて無効であるから、申請人は右の解雇無効確認の訴を提起するのであるがその裁判確定に至るまで生活上受ける損害は甚だ莫大であるから、已むを得ず前記の趣旨の仮処分を申請する。
三 当裁判所の判断
(一) まず申請人と協会との間の雇傭契約がどういう契約であるかについて考えてみよう。疎明によれば、協会の編成局企画部婦人課は昭和二十三年十二月新設されたが、早急に人員を整備する必要があつたので、協会は、一般採用のときと異り申請人に対し面接と簡単な筆記試験を行つただけで、しかも必ずしも適任者とはいえなかつたが、指導しながら勤務させることとして昭和二十四年四月二十八日同人を婦人課の事務嘱託として採用したこと、元来協会の事務嘱託は、原則として雇傭期間について何らの定めがなく、勤務成績の不良、嘱託事項の消滅、その他協会の事業の都合等によつて何時でも解雇されるという取扱がなされており、申請人についても雇傭期間の定めはなく、その他身分上の取扱は一般の事務嘱託と全く同様であつたことが認められる。従つて、申請人の雇傭契約には一年間の期間の定めがあり且つ一年毎に更新されていたことを前提とする申請人の前記(一)の主張は採用することができない。
(二) 次に就業規則第四十五条が事務嘱託に準用されるかどうかの点について考えてみよう。疎明によれば、次の事実が認められる。
協会の就業規則は昭和二十四年六月頃作成されたのであるが、協会はこれを正規の職員だけに適用し、職員以外の芸能員、事務嘱託臨時雇上労務者などに適用される就業規則はそれぞれ別個に作成する予定で、さしあたりの処置として第六十五条を設け、「職員の外労働契約により協会の業務に従事する者についてはその名称のいかんを問わず特に規定した就業条件のほか必要によりこの規則を準用する」こととしたこと、右にいわゆる「特に規定した就業条件」としては、例えば、職員休暇付与規程、職員基準外賃金支給規程、職員被服貸与規程、職員交通費支給規程等があり、そのいずれについても職員と同一の勤務に服する事務嘱託に対してこれを準用する旨の明文があり、しかもこれらの諸規程は就業規則の附属規程としてこれと一体をなしている関係上、これらの規程に定められた事項については就業規則が当然準用されることになるのであるが、附属諸規程や通達等に規定のない事項については、協会が必要と認めた場合に限り就業規則を準用しているに過ぎないこと、協会の従来の取扱例としては、事務嘱託については、就業規則第二章の服務に関する部分は、特に準用する旨の明文はないが、そのうち協会が労働基準法上制定を要求される最少限度の服務に関する規定は、事務嘱託にも準用する必要があると認めてこれを準用しているのであり、就業規則第三章の勤務に関する規定は嘱託事項の内容によつて各人別に準用されているのであるが、事務嘱託の解雇に関しては何らの附属規程も通達もなく、職員の解雇に関する就業規則第四十五条の規定を準用している事実もなく、また準用する必要性も認めていなかつたこと、
以上の事実が認められる。そして協会の事務嘱託に対する右のような取扱方を不当とすべき理由は見出すことができない。従つて、申請人が少くとも事務嘱託であることを争わない本件においては、その解雇について就業規則第四十五条の準用はないものといわなければならないから、本件解雇が就業規則に反し無効であるとする申請人の前記(二)の主張も既にその前提においてこれを採用することができない。
(三) すすんで申請人が解雇された経緯についてみるに、疎明によつて認められる事実は次のとおりである。すなわち、社会部婦人課はその設置当初から連合国最高司令部の強い指示によつて婦人だけで構成されていたが、婦人向放送番組についてもその内容の質的向上を期するため、婦人課に男子職員を加え、そのセンスを取入れることが必要であつたこと、その必要が申請人の解雇前から協会内でも唱えられておつたが、昭和二十七年七月、協会の機構改革を機会にその方針を確立し、同年九月になつて二名の男子職員が婦人課に配属された。そのため同課においては、定員、予算等の関係上、冗員となる二名を整理しなければならなかつたのであるが、当時の婦人課の構成は三名の事務嘱託を除くほかはすべて正規の職員であつて、職員は就業規則第四十五条が適用されるため、単に冗員になつたとか、職務事項がなくなつた等の理由では解雇することができないのに反し、事務嘱託は、さきに述べたとおり、右就業規則第四十五条の準用もなく、また協会が特に必要と認める場合に特定の部課の事務を限つて嘱託するという、事務嘱託の本来の性質上、嘱託事項がなくなれば何時でも解雇することができるし、従来の取扱もそのとおりであつたところから、婦人課の人員整理にあたつても、まず三名の婦人課の事務を嘱託された者がその候補に上つたのであるが、そのうち一名は特に契約期間を一年として毎年契約を更新する特約があつてその当時直ちに解雇することが困難であつたため、この者を除く申請人と杉原泰子の二人に対して、協会は、婦人課事務の嘱託事項がなくなつたとの理由で、同年九月一日解雇の意思表示をした。以上の事実が認められる。こういう場合に申請人を解雇することは協会としてやむを得ないことで、解雇権の濫用であるとはいえない。
申請人は婦人課が廃止されたのでないから嘱託事項がなくなつた場合に当らないというが、婦人課が右のような事由で冗員となつて協会が引続き雇用する必要がなくなつた場合も、婦人課事務の嘱託事項がなくなつたものと解するのが相当である。
申請人は「明るい寮生活」と題する放送に対する世間の非難のために解雇したのが、真の理由であると主張するが、疎明によつてもそれが決定的理由であつたとは認められないばかりでなく、その放送内容が穏当を欠き、新聞雑誌がこの問題をとり上げ協会も迷惑したのであるが、申請人はその放送の企画の一部を無断で実施中に変更し、また出演者の交渉、録音の構成に関しては、上司と特に緊密な連絡をとるべき性質のものであつたにかかわらず、全然それをしなかつた手落があり、出勤そのほか勤務情況が良好であるといえない事実のあつたことも疎明されている。協会としては申請人を解雇せず他の適当な部課に転用することができれば、申請人のためにも望ましいことではあつたであろうが、これを協会の法律上の義務とまではいえないばかりでなく、申請人の婦人課事務嘱託としての執務振りに、前記のように好ましからぬ点もあり、定員、予算等の関係もあることであるから、このような場合に協会に対して申請人を引続き他の局課に雇用するという好意を期待することも事実上望まれない。
以上のとおり、本件解雇はどの点からしても違法とすべきではなく、まして前記のように勤務成績が良好ではなかつたという事情を考慮すれば、もとより申請人の主張するように解雇権の濫用とも認められないから、その無効を前提とする本件仮処分申請は理由がない。よつて主文のとおり決定する。
(裁判官 千種達夫 立岡安正 岡村治信)